現在、1月18日に公開したナナヲアカリのミュージックビデオ「チューリングラブ feat.Sou」がYouTubeにて過去最速で1,000万再生を記録し、2020年公開の邦楽作品では、Official髭男dism、King Gnu、Eveらとともに短期間で1000万再生を突破。現在も勢いよく再生回数を伸ばし続けている。ネットカルチャー発の女性シンガーとして脚光をあびたナナヲが、メジャーシーンにも切り込んでいくなかで、4月8日には同曲を収録する6曲入りのミニアルバム『マンガみたいな恋人がほしい』を発売する。今作でナナヲは、“変愛”というコンセプトで初めてラブソングをメインに取り組み、アーティストとしてのさらなる挑戦のもと、新たな表情もみせた。2019年は変化の年となり、今、新境地へと向かうナナヲの人物像に迫るべく、彼女にとって初となる2万字のロングインタビューを試みた。

取材・文 / 古城久美子 撮影 / 横山マサト
——お会いするのは、2019年11月27日、東京・LIQUIDROOMで行われた「DAMELEON RELEASE TOUR『CHANGING!』」以来ですね。あの日のライブ、全体の印象って「かっこよかったな」ということだったんですよね。
ナナヲあの日、自分の中では反省点が多くて。打ち上がれなくて、追加公演で全ての反省点を回収したというか。
——でも、ステージ上のメンバーもファンも引っ張るような座長感がありました。
ナナヲ確かに、ツアーとしていいツアーがまわれていたから、もちろんLIQUIDもいいライブだったと思っています。自分の中で「変化」というものをテーマにしていて、どうやってその日のライブを迎えるかというイメージもあったので、引き連れる感じもあったのかな。
——脚も上がっていましたしね。
ナナヲ上がってたか(笑)。よかった。
——その日、TVアニメ「理系が恋に落ちたので証明してみた。」(以下、リケ恋)のエンディングテーマに「チューリングラブ feat.Sou」が決定したことがアナウンスされました。あのあとの反響もすごかったですね。
ナナヲそうですね。曲をナユタン(星人)さんといろいろと話しながら、Souくんともお互いに歌い方を合わせたりしながら、いろいろ考えたかいがあったなって……反響、よかったな。
——大きな波がきてる感じがあって、今年はツアーの規模も大きくなります。4月8日にはミニアルバム『マンガみたいな恋人がほしい』が発売されますが、この作品ってナナヲアカリが色濃く出ていたりもするので、今日はパーソナルな話も聞けたらと思っているんです。まずは、音楽をはじめるきっかけから伺えたらなと。
ナナヲきっかけ……ギターを弾いたり、ライブハウスでやっているような音楽にはずっと触れずにいました。小学校低学年のころからダンスを習っていたので、バンドとかではなく、ヒップホップや洋楽を意味もわからず聴いていて。あとは祖母の影響でクラシックとか聴いていましたが、いわゆる軽音楽やロックには全然触れてこなかったんです。それが中1のころかな。お兄ちゃんは中3で、いろんなCDを借りてくるんですよ。ケンカしたら、お兄ちゃんの大切なCDを隠すっていう陰湿な復讐をするタイプだったのですが、その中にBUMP OF CHICKENのCDがあって。自分の部屋に隠した時に聴いてみたら「めちゃくちゃいい!」ってなって。そのころ、中学受験をして環境がガラッと変わってしまった時で、クラス全員知らない人ばかりだったし、女子校だったし、「これ何?!」ってちょうど悩んでいたこともあって、「この人全部私のことわかってる!」ってなるじゃないですか(笑)。バンドにだけでなく、アニメもすごく好きだったので、「BLEACH」のオープニングだったYUIの「Rolling star」のスポットCMを観て「女の子がギターを弾いてる! かっこいい」ってなった時に、「あ!ダンスやめよう!」って思ったんですよね。すぐママに「ダンスやめるから! こっちやる!」って言って。その年の誕生日プレゼントにYUIと同じ赤いテレキャスターを買ってもらいました。
——同じ楽器を買ったんですね(笑)。
ナナヲ あるあるの(笑)。形から入るっていう。
——バンドなどの音楽に魅力を感じたポイントというのは、共感?
ナナヲ 歌詞の力です。演奏している姿とか。YUIはマイク1本、ギター1本でやっている姿を単純にかっこいいなと思って。
——ちなみに、中学受験したことで何が辛かったんですか。
ナナヲ もともと受験する気はさらさらなくて、「家が近ければ別に受験してもいいよ」くらいの感じでした。ナナヲは末っ子あるあるで、ちゃらんぽらんに生きてきたんですけど、兄がすごく賢くて受験したから妹もさせてみるかってなっていたんです。それで家に近い学校を受けてみたら受かったので「通いなさい」って言われて。実際通ってみたら「こわい! 地元の学校に行けばよかった!」って、最初の1〜2年は思っていましたね。
——急に知ってる友だちが全然いないってことですもんね。
ナナヲ ゼロですね。しかも、こわい! すっごくこわかった。女の子だけだったし。
——いじめとかあったんですか?
ナナヲ いじめも最初はありましたし、ナナヲも無視される対象で。ボス的立ち位置の子のしゃくにさわったんでしょうね。
——ええー。なぜ?
ナナヲ わからないんですよ。本当になんの前触れもなく。しゃべりかたとかうざかったのかな?話しかけたら白目むかれるんです。毎日みんなでお弁当を食べていたのに、ある日、ナナヲには内緒で「学食で食べよう」って約束をしていたみたいで、ナナヲだけお弁当になって、ひとりで食べたこともありました。すごくいやだった。その時はめちゃ悲しかったけど、言えないじゃないですか、そんなの。
——相談する人もいなかった?
ナナヲ できなかった。
——もともとヒップホップダンスやったりとか、活発な女の子ではあったんですよね?
ナナヲ いえ。運動大嫌い、お外も大嫌いで。ドッジボールみんな好きじゃないですか。それを、みんなが喜んでやっているのも本当に嫌で。ダンスだけが唯一「習い事で続けられそう」って。自発的に「やりたい」ってはじめて言ったそうなんですよ。それで、ずっと習っていたんですけど、それも終わったらすぐ家に帰るし、全然活発じゃないです(笑)。
——じゃあ、そういう友だちのこととか鬱屈の部分もあって、音楽のほうへのめり込んでいったんですね。
ナナヲ 中学時代のモヤモヤとか、<チクショー>みたいな気持ちを代弁してくれていたのが音楽で、そのころからボーカロイドを聴くようになって。当時、10代にすごく刺さる曲がたくさんあったじゃないですか。すごく救われていたので、そこからどんどん自分も音楽をやりたいなみたいな気持ちにはなっていたんですけど、明確にどうなりたいかとかは考えてなくて、好きだなーという気持ちで聴いてたという感じです。
——ボーカロイドって、どんなものを?
ナナヲ それこそ「ハッピーになりたい」を一緒にやってくださったNeruさんは「東京テディベア」を聴いた時に「大好き!」と思って。ryoさんとかじんさんとかDECO(DECO*27)さんとか。ボカロ全盛期で、中2の心をたくさんくすぐられました。
——学校がそんな感じだったら、音楽が支えになりますね。
ナナヲ なっていましたね。「もうヤダー!」って泣いたこともある。些細なことでうわーってなっちゃうし。いろんな感情と、環境もガラッと変わって、成績とかで順位もつけられ始めるころじゃないですか。すごくいろいろあった中で、音楽ってすごいなって。
——ボーカロイドとギターは、同時にはまっていたんですか?
ナナヲ そうですね。ほぼ同時期にはまって。洋楽のように音だけじゃなくて、歌詞をすごく深く読んで音楽を聴くということを始めたのもほぼ同時期ですね。ギターを手にとったし、ボーカロイドを聴き始めた。ナナヲは「やめるー」「やるー」「やめるー」「やるー」って迷う時間がすごく短くて、突発的に動いちゃうから、ちょっと音楽のはじめ方も特殊かもしれません。
——へえー。そういうのは今でも?
ナナヲ 今もそうです。小さいころからの性質として、選択のときだけは迷わない!というのがあって。逆に、うじうじ悩むのは決めてからなんです(笑)。ずっとうだうだうだうだ「やっぱり辞めなくて続けたほうがよかったのかな」とかなるけど、道が分かれ道になったら、「こっち!」っていうのはすぐ決めちゃう。いいのか悪いのかわからないですが。
——直感なんですね?
ナナヲ そうですね。「好き」って思ったものが「好き」だから、結構そこに統一性がなくて、ジャンルとか関係なく直感的に好きっていう。好きの幅が広くてよかったと思います。
——実際に、人前でやってみようっていうのは、いつごろから芽生えました?
ナナヲ 人前でやりたいと思ったことが先行したのではなくて、ライブをやることになって、やってみたら楽しかったという順番かな。15、6歳のころにバンドを組んで、そうすると「ライブやろう」って話になるじゃないですか。その時から、ボーカル&ギターを担当していたんですけど、実際にライブをやってみて、お客さんとかは本当にいないんですけど、弾いて歌った時に感じたのは、「あ、これやりたいかも」ってことでした。それも感覚的なところで、その時にふと「次のライブのために曲を作ろう」ってなっていった気がする。流れでやっていた結果「目標」とか「音楽と一緒にいる未来」というのが、ぼんやりと見えてきた。それまでは何も考えていなかったんですけどね。家にギターがあって、ただ弾いているだけだったんですけど。自分がはじめてライブをやってステージにたったときに、初めて見えた感じ。
——気持ちよかったんですね。
ナナヲ そうですね。楽しかったんだと思う。照明があたること、めっちゃでっかい音が鳴っていること。あと、みんなで演奏している一体感、緊張感。絶対、ひとりで家にいたら味わえないことだった。
——教室では感じられなかった、ひとつの目標に向かうような?
ナナヲ ああ、ナナヲは部活が本当に続かなくて、本当に向いてなくて。特殊な部活に惹かれるから、1年生のときはトランポリン部に入るんです。でも、先輩とかに注意されたりするのが嫌すぎて、2年目はミュージカル部に入って、それは楽しかったんですけど、「来年もやるのか?」と思うとそこまでなくて辞めちゃって。あとは夏休みの練習に行くことができなくて。暑いのとか無理すぎて、外に出られなかったんですね。いざ、行こうとなっても、家の玄関で「行きたくないー」って駄々こねてるっていう。3年目はギターが上手になりたいなって思ったんでマンドリン部に入るんですよ。そしたら「ギターは定員がいっぱいだから、マンドリンを弾いて」と言われて。マンドリンって12弦で全然音が違うし、しかも3年生で入部するってないから完全に浮き倒していて、辞めるって辞めちゃったから……。学校の外でバンドを組んで、そこでみんなでやりたいことがあって、スタジオに集まってひとつのことをやるっていうのは、自分の中で新鮮なことでした。同じ目標を持って4人で作るっていうのはすごく楽しかった。「ああでもない」「こうでもない」って、15歳くらいでやるわけじゃないですか。それは、自分の中でもいろんな影響があった。
——曲はどういうものをやっていたんですか。カバーとか?オリジナル?
ナナヲ オリジナルで。曲が足りないときはカバーもやったりしていたんですけど。1個目にやったバンドは、かなり激し目の高速ギターロックみたいな感じだったな。今やっている音楽に近いのかな。みんなアニソンとかボカロとかも大好きだったから。ギターが上手な子がいて、その子と歌やメロディと歌詞を書いて、あーだこーだ言ってやっていましたね。2つ目にやっていたバンドはいわゆる“残響系”というか。変拍子、シューゲイザーみたいなことをやっていて。それも楽しくて。でも、それぞれ住んでいる場所も遠いし、進路も違ったので続けるのが難しくなって。やることなくなっちゃった。音楽がなくなったら、私、こんなにも暇なんだってなっちゃって。