——廃人みたいだったんですか?
ナナヲ ほんと、することなくて。そんな大学に入る前くらいのころに、ちょうど、「Bocchi」オーディションというソロアーティストが受けられるオーディションをソニー・ミュージックアーティスツがやっていて。あまりにも暇にしてるから、ママが「デモでも送ったら」って。「じゃあ、送るか」って。すごくやばいヘロヘロの弾き語りを2曲送りました。でも、忘れたころに「二次審査おいで」と連絡があって。バンドが解散してなかったら応募していなかったと思いますが、ご縁があって受かったってなったときに、そのまま大阪にいるのか、東京にいくのかってなったんですけど、「じゃあ、東京いくか!」って。その時通っていた神戸の大学も「辞めよっかな」って。
——ここでも、方向性が決まるとスパッと(笑)。
ナナヲ そうですね(笑)。その後、ソロアーティストだと何をやりたいかって話になったんですが、「バンドじゃなかったら人前には立ちたくない」って思いました。もともと、ひとりで舞台に立つのが好きじゃなくて。バンドだったら、4分割できるじゃないですか。責任とか思いとか。「この曲いいよね」っていうことだって、絶対に4人は地球上にいることになる。そういう全てを、ひとりでは背負いきれないと思って。じゃあ「ネットで音楽がやりたいです」って始まったんです。
——そこで中学のころネットの音楽に夢中になっていたころに結びつくんですね。
ナナヲ そうですね。ひとりのときに聴いてた音楽、ひとりのときに支えられた音楽。ボーカロイド、初音ミクちゃんじゃないですかって。ひとりで人前に立つというのが怖かったがゆえに、そこからは、どうやったら自分がボーカロイドになれるだろうと感覚的に考えて。それなら、まっすぐに好きな人に手紙を書こうと思って、ボカロPのNeruさんに手紙を書きました。
——やっぱり行動力があるんですね。
ナナヲ 変な、謎の行動力はあって。手紙を書きましたね。きもー!(笑)。何を言ってるかわからないくらい、支離滅裂な文章だったと思うんですけど、読んでくださって、お会いするってなったときは、全然しゃべれなかった。だって生きてる方だと思わなかったから(笑)。Neruさんっているんだってなって、心の中ではそんな感じで。ずっと下を向いて、目が合った瞬間って2秒くらいだったかも。
——手紙ってどんなことを書いたんですか。
ナナヲ 本当に好きだということと、中学時代に支えられていたということ、私が今こういう形で、こういうことをしたいと思っているということを書いたんだと思います。それで、現状とか、考えていることとかをお話しさせてもらって「ハッピーになりたい」ができた。
——自分の名前で、作品が形になっていくってどうでしたか?
ナナヲ 全然実感がなくて。今までずっとバンドだったから、一緒に作ったり、自分で作ることばかりやってきたから、「楽曲を提供してもらって歌う」ということにまず違和感があって、自分の曲だと信じられるまでにすごく時間がかかりました。レコーディングするときに「これは自分の曲だ」と思うんですけど、発信する時に、「これってどこまで自分のものにできていて、どこまでナナヲのものなのか、信じてもらえるくらい自分に力があるんだろうか」ということを思っていて。ナナヲアカリとして活動をはじめて、1〜2年はずっとそれで悩んでいましたね。どこまでが自分なのだろうって。どうしたらナナヲアカリの楽曲だってみんな思ってくれるんだろうって。
——憧れの方々から曲をもらってはいるけど?
ナナヲ そこと自分とって何が違うんだろうっていうことですね。ボーカロイド楽曲として出されている大好きな人たちの楽曲とナナヲアカリの曲って何が違うんだろうっていう。どう差別化できているんだろうっていうような。
——でも、各ボカロPの方々とディスカッションの上でできていくわけですよね。
ナナヲ そうですね。でもなんか、どこまで本当なんだろうって迷っていた時があったんですよね。結構、1年前くらいまでそういう悩みはあって。
——そんなに?
ナナヲ 結構、悩んでて。全部の曲がナナヲの曲だと思うんだけど、自分は信じているんだけど、発信するってなると、自分に信じさせられる力があるのかとか、責任とか考えるようになって。
——それでも、CDを見るとナナヲアカリの名前で出てるんですもんね。
ナナヲ そうですね。そこまで背負う自信もないまま、勢いで、東京にのこのこ出てきちゃったんだなって。でも、それこそ、DECOさんとお話しすることがあって。「わかんなくなって、たまに信じられなくなって、不安になる」という話をしたら「俺はナナヲアカリちゃんにしか書けないものを書いているわけだから、それはもうあかりちゃんの曲じゃん。あかりちゃんと話してなかったら生まれてないから。ナナヲアカリの曲だって思っていいんだよ」って言われた時に「うお ——」って泣いちゃって。超感動。自分が神様って崇めていた人に、そうやって言ってもらったことが、すごくて。そこから何か信じられるように、自信を持って「ナナヲアカリの曲だ」って言えるようになった気がします。すごく最近なんですよ。ずっと悩んでた。
——作家さんたち、みなさんそう思って作ってるとは思うけど、それが自分の存在を認めてもらえてるって気づいた瞬間だったんですね。
ナナヲ もともと自分に自信がなかったから。やっぱり、そういう風に思えなくて。「自分のために書いてもらったら、自分の曲なのか」と思っていたけど、ちゃんと話したら、みんなあかりちゃんだから書けた曲だと言ってくれて。自信をもって届けないと逆に失礼だなという気持ちにもなりました。
——実際、悩んでいる間にも、YouTubeなどで曲は浸透していきますよね。
ナナヲ 友だちとかから「YouTubeで観たよ」とかって突然連絡がくるじゃないですか。「SNSで観たよ」とかって。「すごいね」って言われるんですけど、「何がすごいんだろう」って思っていましたね。それは今も一緒なんですが。別に自分としてはすごいことをしているつもりもないし。ただ、その時伝えたいメッセージを、ミニアルバムだったらコンセプトにして、「これを今歌いたい」「私は今こういう気分なんだ」というアルバムを出してるわけだから、褒められてもよくわからないというか。温度差がありましたね。
——楽曲の提供があっても、インディーズのころから、全体のコンセプトとか、見せ方のプロデュース自体は自分自身でやっているわけだから、何が自信ないんだろうね?
ナナヲ そうやって、第三者目線で意見をもらうと「確かに!」ってすごく納得するんですよ。でも、ひとりで考えた時に、これはナナヲアカリではあって、ナナヲアカリではないんじゃないかって。いろいろ含めて、そうなんだけど、納得いかない!って、変な頑固が出てるみたいな。どうなれば、「自分は100%だ」と報われるんだろうっていう。不思議です。
——外に向かって曲が浸透していく中で、逆に不安になったりとかもある?どんどん広がることで。
ナナヲ 確かに。今は心の健康状態がわりといい状態なんですけど、それもちょっと前まであった。すごくナナヲアカリを知ってくれている人と、よく知らないけど目にする人たちって、広がれば広がるほど、そこって増えて行くじゃないですか。それで、後者のよく知らないけど目にする人たちからの心無い言葉にやられたりする時期があって。やっぱりネット発だけにネットっていろいろあるから、「よく知らないくせにー」「わたしはそんな人間じゃないのに」って思ってた。でもやっぱり見えないからどうとでも言える。ニコニコ動画とかもコメントが流れるじゃないですか。ずっといいコメントが流れるけど、100のいいコメントより1個の悪口に全部引っ張られるというか。いちいち傷ついて。「(ガン、ガン、ガン、ガン)うるせー、バーカ、バーカ」みたいに荒れ狂っていた時期がありますね。今は、「全然いいよ」って思えるようになってきて、あまり気にならなくなった。それより、好きでいてくれる人と向き合うことが健康にいいなと気づいて。「いっか」って。
——そうすると、より自分の音楽にも向き合えるようになった?
ナナヲ 『しあわせシンドローム』『DAMELEON』くらいから、そういう健康状態を加味しつつ、音楽とも自分のあり方とも向き合えるようになってきたかな。ほんと最近なんですが、メジャーデビュー1年目とかどうしたんだっていうくらい不安定で。
——2019年はすごく大事な1年だったんですね。
ナナヲ そうですね。自分の中ですごく変わった1年でした。なんだろう、考え方もすごく変わったし、だから、性格もよくなっんですよね。

——1stアルバム『フライングベスト~知らないの?巷で噂のダメ天使~』時に初めて取材させてもらいましたが、2018年ですよね。その時、元気にがんばっている感じがしてたけど、そんな葛藤があったとは。
ナナヲ 「私、今、辛いんです」とか言えないタイプで。気丈、じゃないな、飄々として、ちゃらんぽらんに振る舞っちゃうんですよね。そういう像を作ってきたんですよ。20数年間。そこってなんなんでしょうね。根が陰キャなんですけど、すごく明るいねって言われるんです。「いつも元気だね」「いつも楽しそう」みたいな。こっちからすると「そうしてるんだから、そう見えるに決まってんじゃん」って。考えていることはすごく暗いけど、でもアウトプットがすごく明るいんですよね。それは、暗いと暗く巻き込んじゃうのが嫌で、めちゃくちゃ気を遣うからなんですけど。初めて会う人に「こいつ絡みづら」って思われたり、気を遣われるのも嫌だから、明るい人でいなきゃいけないなって思うし。人が怖いから。当時も悩んでたけど、「私、こんな悩んでるとかいうと、すごいやなやつみたいだから、明るくしておこう」とかあったんだと思う。なんだそりゃって感じだけど。
——そうだったんだ。それは辛かったですね。
ナナヲ そうですね。結構ね、辛かった。ちゃらんぽらんに生きてる体(てい)だから、人前での暗くなり方もわかんないし、マイナスのアウトプットがわからないし。できないんですけど、それができるようになればいいのかな。
——それは音楽にね。
ナナヲ そうですね。音楽には出てますよね(笑)。
——やりたいこともあって、作品を「こう作りたい」という意志もあって、見た目も可愛いくて。それでも、自信がないっていうのはなんでだろうって、不思議に思われがちなんでしょうね。
ナナヲ それもすごく言われるんですよ。「自信ないとか嘘でしょ」とか。「違う違う」。ナナヲはこんなにも自信がないのに「自信ありそう」とか「いいよね」ってなんで言われるんだろうって、不思議で。でも、考えてみると、1番をとったことがないんですよ。ダンスをやってたときもそうだし、普通に踊れる、勉強も普通にできる、習い事もいろいろしていたけど、1番をとったことがなくて。周りを見れば、自分より何かができる人がいて。ギターがとても上手なひと、歌がとても上手なひと、すごく絵がうまいとか、すごくスタイルがいいとか、みんな突出しているものがあっても、私には何もないっていうのがずっと続いている。でもそれも自信がないことを説得する要素にはならないらしい……言ってしまうと、すごく低レベルな器用貧乏という自覚があるんですが。
——さきほど出てきましたが、頭のいいお兄さんと比べてたとかもあるんですか?
ナナヲ ああ、お兄ちゃんはすごく変わった人で。ナナヲみたいに、そういうことは全く考えないんです。すごくマイペース。努力しないんですけど、ただただ地頭がよくて。ステイタスにも一切興味がない、聖人のような、不思議なお兄ちゃん。すごくレアだと思います。このご時世にすごく欲がないんですよ。おもしろいひとです。お兄ちゃんの話をしたら、ホントに長くなっちゃう(笑)。私自身は、お兄ちゃんと比べるということよりも、父親がとても厳しい人だったというのもあったし、1番をとったことがない自分自身へのコンプレックスが大きくて、学校にも家にも逃げ場がなくて、唯一、好きで続いたことが音楽だった。だから、自信はなかったとしても、ナナヲの音楽活動を応援してくれたママが間違っていなかったことを証明したいなという思いもあったりして……。
——ライブは観に来てくれたりするんですか?
ナナヲ 来てくれます!
——じゃあ、2019年のツアーで、成長した姿も見せられたのかな。そういった葛藤を突破していく、大きなきっかけとしては、全国ツアーを回ったことなんかもありますか? 2019年は公演数もぐっと増えていますよね。
ナナヲ ツアーをまわったこともすごく関係があると思います。全国をまわって、Face to Faceでみんなの顔を見て、私が向き合うべきは「そうだよ、こっちだよ」って思ったし、その中で、自分が新たに、こうやって出会える機会を作るためには、どういうことを発信していけばいいかとか。どういう感覚で考えたほうがいいのか、すごく冷静に考えられるようになりました。